論外な人たち

システム開発に於いてもしもプラットフォームやフレームワーク、開発ガイドがないならスクラッチで作るしかない。つまり技術者の属人性に頼りはじめから作るしかない。

現代のシステム開発で其れは非現実的である。何故ならプロジェクトのメンバーを自社社員だけで構成することは稀だからである。

協力会社に応援を要請し技術者を確保する場合、その技術者のレベルは低くても高くても問題となる。低いのもまずいが高けれいいというものでもない。彼等の書いたプログラムや設計のレベルが高過ぎて自社社員の開発メンバーがついていけないならやはり其れは問題となる。だからそうした事がないように開発ガイドやフレームワークを用意し品質の均一化を図る。

例えば良いシステムはログの書き方や実装の仕方をフレームワークや開発ガイドが示しているので、何処の同じ形式となり見やすく、詳細に書かれており追跡も容易になる。これは開発者にも運用者にも優しい。もしフレームワークや開発ガイドがないなら、まともなログが吐かれないかもしれない。例えまともでも形式が異なれば可読困難となる。

所で独自フレームワークをベースに開発したシステムの大半は追跡できないログを吐く事や苦労の末に追跡出来てもその問題を対応できない事を皆さんはご存知だろうか。もちろんこの原因は独自フレームワークの未熟さにある。

ログがまともであればそのログ解析や対応にかかるコストは減る。そうなれば開発者や運用者は残業しないで済む。

多くのプロマネはそうした事を分かっていないのだ。むしろ残業すれば済むことは大した問題ではないと思っている。そもそも残業しなければならなくなった原因は開発者や運用者にあるのだからそんなものはやって当然で、自分達の無能さ故に遅延した問題の対応にも我々は作業代を払っているのだ。感謝してもらいたいくらいだ。と思っているかもしれない。

もちろん其んな考えは論外である。